「離して、アイク」


きりきりと彼が掴む腕が悲鳴をあげる。そんなに長く掴まれ続けたらさすがに痛い。服で隠れてこちらからは全く見えないが、掴まれている部分は確実に赤く、指の跡が濃く残っていることだろう。苦痛に自分の顔が歪んだ。今まで痛みに耐え、平静を装ってきたつもりだったが、やはりもう耐えられないようだ。先ほどよりも強くきつく、離して、と言ってみる。しかし離す気配は全くない。呆れてため息をつくと、今まで下を向いていた彼の顔がわたしの顔に向けられた。蒼い瞳が、わたしを射殺そうとしている。


「逃がさない」


逃げないよ、と言うのにまだ彼はわたしの腕から手を離そうとしない。そればかりか掴む力をさらに強くした。というか、離すと逃げるは全く意味の違う言葉じゃないか。アイクの中では離すイコール逃げるという方程式にでもなっているのだろうか。…困ったものだ。大体、どうしてこんなことになっているのかすら意味がわからない。突然部屋まで呼び出されたと思ったらこれだ。なんなんだ、こいつは。はぁ、と深いため息をもう一度つく。我ながら態度が悪かった気がする。アイクが怒ったかもしれないとアイクを見つめる。怒声の代わりに、噛み付くような口付けがやってきた。


「…お前が欲しいんだ」


思わずへ、と間抜けな声を出した。続けて言葉を発しようとしたら再び口付け。獣が手に入れた餌を食べるような、むさぼるという表現がぴったり合う口付けだった。アイクがなにをしたいかなんてわたしには全くわからない。おそらく常人には理解できないのではと思う。…ああ、それじゃあアイクが変人ということになる。鼻から呼吸をしている間、ずっと唇は合わさったままだった。逃げることも離れることも許さないと表したような、汚いなにかに包まれたまま、少しだけ、静かな時間が流れた。


「アイク」

「…すまない、どうかしているな、俺は」


先ほどの冷酷で淡々とした表情とはうってかわって、彼の顔は蒼い髪と対照的な紅色に染まっていた。アイクが照れたように反対の手で顔を隠す。可愛らしいその動作のせいか、わたしは小さく笑ってしまった。アイクがムッとしたような表情になる。空気は和らいだ。しかしアイクの手はわたしの腕を掴んだまま離さない。今言った方がいいのかもしれない。離してくれるのかもしれない。だがわたしの心がそれを否定している。アイクと目があった。お互いに微笑み合う。…今はただ、この泥沼に沈むだけ。





永遠の泥沼


(沈んでは浮かぶを繰り返す自分がわたしを見つめていた)