げ、と思わず声が出た。
咄嗟に出てしまったから隠せなかったわたしのその声に目の前にいる悪魔は眉を潜める。神が与えた美しい顔をほどよく歪ませて口を開く。


「まるで俺に会いたくなかったとでも言うような声だね」


まさしくその通りだと言えたならどれだけ楽だっただろうか。というか、そう言ったら彼はどんな顔をするのだろうか。大方不愉快そうに顔をしかめてから、わたしの大嫌いな笑顔を浮かべるのだろうけど。顔を歪めても微笑んでみても美しいだなんて、 生まれてからの美形はとにかく得である。
なるべく気付かれないようにジリジリと後退りしてみたけれど、マツバさんはお得意の胡散臭い笑みを浮かべながらわたしに近付いてきた。それもわざとらしくジリジリと。


「久しぶりに会ったな、今までどこ行ってたの?」
「トレーナーですから……ちょっと旅に出ていました」


わたしの隣で相棒のエーフィがふんと鼻を鳴らした。エーフィは根暗なトレーナーであるわたしとは正反対の性格だが、どうやらマツバさんが苦手という点は似ているらしい。というより、エーフィはマツバさんが嫌いなようだ。わたしより彼に対する態度がえげつない。出会ってすぐに威嚇するとかもうすでに日常茶飯事である。
きっとマツバさんは気づいているだろう。わたしもエーフィも、マツバさんが嫌いだということを。それでも彼は自ら近づいてくるのだけれど。


「会う度にいつも言っているだろ。もっと頻繁に会いに来てってさ」
「そうでしたっけ、忘れてましたね」


異常なまでにしつこい。いつものことだけど。
ガムテープというか、なんちゃらホイホイのネバネバというか、非常に粘着質である。マツバさんの行動がというよりかマツバさん自身が。突き放しても突き放してもめげずにやってくるし、挙句にこの様。会いにこい会いにこいとうるさくてかなわない。
当たり障りのない言葉で避けていたら突然マツバさんに腕を掴まれる。驚いて彼の顔を見たら、薄気味悪いほどきれいな笑みを浮かべていた。その笑みをしっかりと視界にとらえた瞬間、背筋を悪寒が駆け抜けた。


「ね、なんでこないの?君が来ないから俺のフラストレーション溜まってるんだよ。知ってた?」
「・・・離して下さい」
「俺が普段なんのために君に会いに行かないか分かってるのかな。いつどこで君を食べてしまうか分からないから我慢してるんだろ、会いに行くの」


気持ち悪い。
言葉にするわけにはいかなかったから、どうにかして飲み込んだ。飲み込んだけれど立ってしまった鳥肌はどうにもすることができない。この人は何を言ってるんだ。前々からどうかしてるとは思っていたけれど、これは、どういう。
『食べてしまう』。どういう意味で発言したのかはわからない、わかりたくもない。
早くこの腕を振り払わないと。そう頭では思っているのに、ほの暗い色の瞳に捕えられて、動くことができない。相棒のエーフィですら、鳴き声一つあげやしない。


「トレーナーが旅をすることはいいことだから俺は止めないよ。ジムリーダーだしね」


ジムリーダーがトレーナーに対して旅をするななんていうの、おかしいだろ?それはそれはおかしげにマツバさんが続ける。 このどろどろした空気を作り出している張本人がこの空気に一番そぐわない。ああ、気持ちが悪い。触れられている場所から少しずつ体が腐ってしまいそうだ。 わたしの意識がマツバさんから少し遠ざかったのに気づいたのか、意識を自分に戻させようとするかのように強く腕を握られた。鈍い痛みに今度はわたしが顔をしかめた。


「そろそろかくれんぼに飽きたのは俺だけかな?」
「かく、れんぼなんて、してませんよ」
「ああ、それじゃあおにごっこかな。まあ、なんでもいいんだけど、もう足りないんだよ、俺。君が会いにこないからさ」


エーフィが怯えている。どんなことにだって立ち向かっていける自慢の相棒のエーフィが、マツバさんに間違いなく恐怖を抱いている。ポケモンではなく、トレーナーとしてでもなく、一人の人間であるマツバさんに。 マツバさんに怯えるのはおかしくない。だってこの人は、もはや出会ったころの優しいあの人ではないんだから。 ほの暗い色を宿した瞳を少し細めて、わたしの腕を強く握りしめたままマツバさんが笑う。嬉しそうに笑う。 この状況から逃げ出すことはできるのだろうか。そうは思うけれど、ああ、これは、もう。




「見つけて欲しいならいくらでも千里眼使ってあげる。でも、そうでないのなら自分からおいで。俺が君を探すって、どういうことか分かるだろう?」












(ね。/2012.06.24)