身分の差は、きっとこの世で一番分厚い壁だとわたしは思っている。登るにも高さはあるし、壊すにも分厚すぎる。どうしようもないその壁は、どうしたら壊すことが出来るのだろうか。…出来もしないはずなのに、わたしは淡い期待を抱いて今日も生きている。侯爵家の御嫡男と、一般の市民では壁が高すぎるのに。

だがわたしとロイ様は貴族と市民という間柄では収まらないものだった。ロイ様は貴族にも関わらず、幼いころはよく屋敷から抜け出してはわたしが住む集落まで遊びに来ていたのだ。その冒険に付き合わされたのがわたし。当時その集落で一番ロイ様に年が近かったのがわたしだったから。…今思えば、奇跡としか思えない出会いだった。

ロイ様が大きくなるにつれ、冒険の回数はどんどん減っていった。それでも一月に一度、必ずわたしに会いに来てくれた。…そう、わたしに、だ。それがわたしの心を大きく揺れ動かした。その時からわたしはロイ様を意識するようになっていって、当たり前のようにロイ様を好きになった。…かなわない恋だなんて、気付いたときから知っていた。だからそれ以上を欲しがりません。ロイ様がまた会いに来てくださるならそれで、構わないのです。

ガチャリと家の扉が開いた。驚いて振り向く。着古された茶色のコートで隠された全身、少しはみ出した赤い髪が目に入ったとたん、わたしは侵入者が誰かわかり胸を撫でおろした。おかえりなさい、と呟くと、侵入者は被っていたフードを降ろし、わたしに向かって優しく微笑んだ。

ロイ様はわたしが『おかえりなさい』と言わないと気がすまない。前うっかり『いらっしゃいませ』て言ってしまいひどく怒られたことがあった。…ついでに言うと、ロイ様はわたしがロイ様を『ロイ様』と呼ぶことすら気にくわない。けじめなのです、ご理解ください。何度このセリフを言ったことだろうか。

今日のロイ様はいつになく真剣な眼差しでわたしを見つめている。その視線がわたしと交わる。きっといつもならお互いに笑いあっていたけれど、今日はそうもいかなかった。ロイ様の真剣な眼差しは、変わることなくわたしに注がれ続ける。嫌な予感なんて、最初から気付いていた。

、君に聞いて欲しいんだ。ぼく、リリーナと…結婚することにした」

ロイ様のきれいな青色の瞳が切な気に揺れている。その動きが意味をするものをわたしは知っている。むしろ喜んで欲しかった。そんな悲し気な瞳でわたしを見つめるぐらいなら、お願いです、わたしを想うことなどしないでください。