「あーつーいー」お気に入りらしい下敷きをぱたぱたとあおぎながらは言う。窓を開けているのに風が入ってこない。窓を開けている意味がないと気づいたのか、はゆっくりと窓を閉めた。やはり暑い。「もう夏休みはいるなーうん、でも受験生ってびみょー」だって勉強しなきゃなんないじゃん?かったるそうにはそう言った。「まーたしかにめんどい」適当に相槌を返す。俺だって今年の夏は忙しい。勉強もあるけれど、バンドの活動もある。「そういや石田ってバンドやってたね」今さらかよ、こいつ。暑さのせいなのかのセリフのせいだかはわからないけど、溜息がでた。(あつい)

「つうかなにやってんだろーねあたしたち」「知らねえよ、俺に聞くな」『Teen-age-Wolves』、と書かれたコメントしづらいデザインのうちわをあおぐ。(これは大輔の姉が作ったものだ)今俺たちは、放課後の誰もいない蒸し暑い教室でただ、会話だけをしている。は下敷きで自分をあおぎながらよくわからない本を読んでいるし。ええと、本の題名は・・・『世界の滅亡』。なに読んでんだお前、笑ったらが俺を睨んだ。ちなみに俺は、新曲を作るために真っ白な紙と奮闘している。悲しいことに、歌詞が全然、思いつかない。

「ねえ、もう夏休みなんだよ」ぱたん、本を閉じたが俺を視界にとらえた。「なんだよいきなり」「時間がたつのははやいねえ」しみじみ。そんな効果音がつきそうな顔をした。「ぷ、婆くさい」「うっさいんだけど」声のトーンを低くして言うがなんだかおもしろくて笑った。ぎろり、また睨まれた。「たぶんさ、目、閉じたらもう卒業してるんだよ」そりゃないだろ、視線を雪のように白い紙に戻した。言葉が出てこない、伝えたいと思う気持ちが、見つからない。

「なんだ、まだ夏か」本当に目を閉じていたのか、こいつ。ちらりとをみたら楽しそうに笑っていた。このやろう、なんか腹立つな。「石田はまだ言葉と喧嘩中?」皮肉めいた口調ではそう言う。「うっせーよ」ああでも本当に思いつかない。諦めて、愛用のシャープペンを机の上に投げだすと、立ち上がって窓際に向かった。風が吹いてるわけじゃないけど、なんとなく、窓を開けたかった。「ばかーさっき閉めたばっかだろ」ああ、そう言えばそうだった。

「わすれなぐさ」ぽつり、静かだった空間でがひとり、呟いた。「なんだよ、いきなり」うちわをあおぎながら聞く。暑い、本当に暑い。「いや、なんとなくね」そう言うとまたは本を開いて読みだした。ほんといみわかんねー、こいつ。「花言葉とかあるのか?」聞いてみたら、はあきれたように笑った。「そんなこともしらないの?」こいつ、言うこと言うことがムカつく。「『私を忘れないで』」「私を忘れないで、ね・・・」やけにロマンチックなセリフだ。「勿忘草、を英語にすると、『forget-me-not』なんだって」そのままじゃないか。笑いながら言ったら、も笑った。

「西洋かどっかの騎士がね、恋人のために勿忘草をつもうとしたら勢いが早い川に落ちちゃったんだって。でもね、流されながら『私を忘れないで!』って叫んだんだって。それが語源らしいよ」ロマンチックだよね。切なそうに、が笑った。「ロマンチックだっていってもそいつ死んでるだろ」「まあそうだね」本当に他愛もない会話だと思う。深い内容があるわけでもないし、あっさりとしたよくわからない会話。それでも、俺は楽しかった。「本当に、覚えてたのかな、その恋人さんは」・・・元も子もないこと言うなよ。

「あたしだったら忘れてるよ、うん」また本を閉じて、うんうんと頷きながら言う。相変わらず窓から風は遊びに来ない。「ひどいだろそれ」「だって人がずっとなにかを覚えてるなんてこと、ないでしょ」確かに。どんなに大切なことでも、ふと、忘れるときがある。それを思い出すのはひどく手間がかかるときだってある。例外じゃないが、俺もたまにガブモンを忘れる。きっと、そんなものなんだろう、人間というものは。俺は窓を閉めてため息をついた。

「ねえ、石田、あたしたちさ、小学校の一年の時から一緒のクラスだったけど、高校でもう離れるよね」俺は都内の高校に行くつもりだが、はそうでもないらしい。自分にあった高校に行きたいと、前に俺に話してくれた。「そうだな」なんとなく、言葉が浮かんだ。いい歌が作れそうな気がする。席に戻ってシャープペンを再び持つ。グリップのひやりとした感触が気持ちよかった。「勿忘草、ねえ」小さく小さく、はそう言った。それは空気にすぐ溶けてしまうほど小さな声だったけど、俺にはしっかりと聞こえた。「もうすぐ卒業だね」瞳を閉じて、は何かを想うように言った。






2007.06.23(そしていつか僕は君を忘れてしまうのでしょう